志村一里塚~東京都に二つしか現存しない一里塚のうちのひとつ
志村一里塚とは
「一里塚」とは徳川家康が街道整備のために作らせたものでお江戸日本橋を起点として1里(約4km)ごとに作られた塚です。
タテヨコ5間(約9m)四方、高さ1丈(約3m)といった規定もありました。
志村一里塚は日本橋から本郷森川宿、板橋平尾宿に続く中山道3番目の一里塚ですが、東京都内に現存する一里塚としては西ヶ原一里塚(日光街道)とここ志村一里塚の2か所しかないそうです。
ちなみに中山道(現在の国道17号線)は、江戸の日本橋と京都の三条大橋を内陸経由で結ぶ街道であり、旅人や商人たちが行き交う交通の要所でした。
志村一里塚付近には「板橋宿」がありました。板橋宿は上宿(現板橋本町)、仲宿(今も仲宿)、平尾宿(現在のJR板橋駅付近)に分かれており、江戸時代には旅人の行程の目印や休憩場所として利用されていました。
⇒詳しくは「【風景写真】中山道〜板橋仲宿 江戸の宿場町と遊郭の名残を楽しむ・・・」へ。
お江戸日本橋を出発して一番最初に出てくる宿場町でした。
通勤ルートとしての国道17号
わたしを含めてこの通りを使用して自転車通勤している人は多いです。
この通りは片側3車線なのですが、自転車が走るほどのスペースは設けられていません。アリバイ的に自転車のマークが描かれているだけです。
特に朝の通勤ラッシュ時は相当な交通量で車がストップしてしまいますが、そうなると自転車が走る余地もほとんどありません。
車も自転車を邪魔だと思っているでしょう。お互いに不幸です。
なのでこの辺では多くの人は、歩道を走っています。派出所に向かうお巡りさんも含めて。
歩道は歩行者、時間によっては小学生の集団登校の列が通ることもあるので危ない時は自転車を降りて押す場面もでてきます。
今の状況を何とかしてほしいと思います。1.5mの自転車専用レーンを設けるか、あるいは自転車走行路を歩道に設けるかしかやりようはないと思いますが。
日本では事件・事故が起きないと何事も動かない
たぶん事故が起きて死人が出たりしない限りはこの状態が続くのではないでしょうか。
日本では、運よく事故が起きていないだけの場合でも「大丈夫じゃないか」ということで何も進展しません。
警察も実際に被害が出ない限り捜査すらしてくれません。
健康診断や人間ドックで病気になる可能性がある部分をケアするのと同じように、危ない道路があれば、それを未然に防ぐようなケアをしていただきたいと思います。